Nikon Cine-NIKKOR 38mm F1.8は、日本光学工業(現在のニコン)がフィルム映画撮影用として製造した小型シネレンズです。
現在「NIKKOR」と聞けば35mm一眼レフやミラーレスカメラ用交換レンズを思い浮かべますが、日本光学は古くから8mm・16mm映画カメラ向けの撮影レンズも製造していました。
その中でもCine-NIKKOR 38mm F1.8は、小さなDマウントながらF1.8という明るさを備えた望遠レンズ。
手のひらどころか指先で扱えるような小さな鏡筒から、8mm映画時代のニコン光学技術を楽しめる一本です。
Nikon Cine-NIKKOR 38mm F1.8とは
Cine-NIKKOR 38mm F1.8は、主として8mm映画カメラで使用するために作られたDマウントのシネレンズです。
資料では1950年代末ごろ、従来のCine-NIKKOR 38mm F1.9を引き継ぐモデルとして登場したとされています。
主な特徴は次のとおりです。
- 焦点距離:38mm
- 開放F値:F1.8
- 用途:8mm映画撮影
- マウント:Dマウント
- レンズ構成:2群4枚
- フォーカス:マニュアル
- 絞り:手動
- 金属製鏡筒
- コーティングあり
クラシックニッコールの研究・修理資料では、38mm F1.8は2群4枚構成で、先代38mm F1.9と同じ基本的なレンズ配置を採用しながら、より明るいF1.8へ改良されたモデルとされています。
38mmなのに「望遠レンズ」
35mm判カメラでは38mmと聞けば、標準より少し広い程度の焦点距離です。
しかしCine-NIKKOR 38mm F1.8が使用する8mm映画フィルムは、35mm判よりはるかに小さなフォーマットです。
そのため同じ38mmでも画角は非常に狭くなります。
標準8mm用レンズとして考えると、35mm判換算ではおおむね200mmを超えるクラスの画角となり、完全な望遠レンズです。
実際、先代Cine-NIKKOR 38mm F1.9については35mm判換算約210mm相当の画角とする評価があります。
つまり、
38mm=標準レンズ
ではありません。
8mm映画の世界では、
38mm=かなりの望遠。
撮影フォーマットが変わると、同じ焦点距離でも役割がここまで変わります。
Dマウントとは
Cine-NIKKOR 38mm F1.8で重要なのが「Dマウント」です。
Dマウントは主として8mm映画カメラで使用された小型のねじ込み式マウントです。
規格は、
- ねじ径:約15.88mm(5/8インチ)
- ねじピッチ:32山/インチ
- フランジバック:約12.29mm
となっています。
見た目はCマウントにも似ていますが別規格です。
Cマウントは主として16mm映画カメラなどで使われた、より大きな1インチ径のマウント。
一方Dマウントは、それよりさらに小さな8mm映画用規格です。
中古販売ページではCine-NIKKOR 38mm F1.8を「16mm用」と記載している例も見られますが、Dマウント仕様については基本的に8mm映画用レンズとして理解するのが適切です。
日本光学は昔から映画用レンズを作っていた
「ニコンが映画用レンズ?」
と思うかもしれません。
しかしニコン公式の社史コンテンツによれば、日本光学は自社の8mm映画カメラへ参入する以前から、他社メーカー向けに8mm・16mm映画用レンズを供給していました。
つまりスチルカメラだけを作っていた会社が突然シネレンズへ手を出したわけではありません。
映画撮影用光学系についても、すでに経験を積んでいました。
Cine-NIKKORは現在ではかなりマニアックな存在ですが、ニコンの光学史をたどるうえでは無視できないシリーズです。
幻の高級8mmニコンにも38mm F1.8が搭載されていた
Cine-NIKKOR 38mm F1.8を語るうえで特に面白いのが、ニコン公式資料に残された試作8mm映画カメラです。
日本光学では1956年から、高級8mm映画カメラの開発を進めていました。
1959年には試作機まで完成。
そのカメラには3本の交換レンズをターレット式に装着していました。
その3本が、
- Cine-NIKKOR 6.5mm F1.8
- Cine-NIKKOR 13mm F1.8
- Cine-NIKKOR 38mm F1.8
です。
6.5mmが広角。
13mmが標準。
38mmが望遠。
レンズをターレットごと回転させて瞬時に焦点距離を変更する、昔の映画カメラらしい方式です。
さらに38mmと13mmにはヘリコイドによるピント調整機構まで備わっていました。
幻の試作機は市販されなかった
ところが、この高級8mmカメラは商品化されませんでした。
ニコン公式によれば、開発コストなどの問題もあり、企画は大幅に変更。
最終的に1960年9月に発売された「NIKKOREX 8」は初心者向けへ方向転換されました。
市販NIKKOREX 8では3本ターレット方式を捨て、
10mm F1.8の固定レンズ1本
という非常にシンプルな構成になります。
つまり、
「NIKKOREX 8に38mm F1.8を交換装着できる」
わけではありません。
ここは混同しないよう注意したいところです。
試作機用と市販レンズは外観が異なる
さらに面白いことに、ニコンミュージアムに残る試作機用38mm F1.8と、市販されたDマウント版Cine-NIKKOR 38mm F1.8では鏡筒形状が異なります。
ニコンのクラシックレンズ研究資料でも、試作カメラに装着されたF1.8レンズと一般に流通したF1.8 Dマウントレンズには外観上の違いがあることが指摘されています。
したがって、
「38mm F1.8は試作品しか存在しない」
というわけでもありません。
Dマウント仕様の市販レンズも現存しています。
F1.9からF1.8へ進化
Cine-NIKKORには、それ以前に「38mm F1.9」が存在しました。
こちらは1950年代半ばから使われた初期のDマウント望遠ニッコールです。
その後期型にあたるのが38mm F1.8と考えられています。
F1.9
↓
F1.8
数字だけなら、
「0.1しか違わんやん。」
となります。
実際、明るさの差そのものはわずかです。
しかし外装や光学系にも変更があり、単純に絞り表示だけを書き換えたレンズではありません。
2群4枚という非常にシンプルな光学系
Cine-NIKKOR 38mm F1.8のレンズ構成は2群4枚。
前群と後群、それぞれが貼り合わせレンズという非常にシンプルな構成です。
現代のレンズでは、
10枚
15枚
20枚
という構成も珍しくありません。
それに対して、
たった4枚。
しかも8mmフィルム用です。
光学系が小さいからこそ、レンズ全体も極端にコンパクトになっています。
空気とガラスが接する面も少なく、内部反射を抑えやすい構成というメリットがあります。
一方、当時のコーティングなので強い逆光ではフレアが発生しやすいという特徴も報告されています。
開放F1.8という明るさ
映画撮影では静止画以上にレンズの明るさが重要です。
スチル写真なら、
「暗いからシャッターを1秒にしよう」
という選択もできます。
しかし映画撮影では毎秒何コマもの連続画像を記録するため、シャッタースピードを自由に長くすることができません。
特に1950年代の8mmフィルムは、現代のデジタルカメラのようにISO感度をボタンひとつで上げることもできません。
そこでF1.8という明るいレンズが威力を発揮します。
室内。
夕方。
舞台。
薄暗い場所。
そうした環境で少しでも多くの光をフィルムへ届けることが、シネレンズでは重要でした。
絞りはもちろん変更できる
レフレックス500mm F8のような固定絞りではありません。
Cine-NIKKOR 38mm F1.8には手動絞りがあります。
撮影者が絞りリングを回して光量を調整します。
現存個体では、
- 絞り羽根が正常に動くか
- 油染みがないか
- リングが重くないか
を中古購入時に確認したいところです。
8mm映画撮影では撮影中に露出を調整する場合もあるため、シネレンズでは絞りリングの滑らかな操作感も重要です。
ピント合わせも可能
38mm F1.8にはヘリコイドがあり、マニュアルでピント合わせを行います。
8mm映画用レンズでは焦点距離の短い広角レンズを固定焦点とすることもあります。
しかし38mmは8mm判では望遠です。
被写界深度も浅くなるため、ピント調整が必要です。
ニコン公式に残る高級試作機でも、6.5mmは固定焦点だった一方、13mmと38mmにはピント調整機構が搭載されていました。
小さいのにずっしりした金属製鏡筒
Cine-NIKKOR 38mm F1.8は非常に小さいレンズですが、鏡筒は金属製です。
クラシックニッコールの分解資料でも、堅牢なオールメタル構造が特徴として挙げられています。
手に取ると、
「こんなに小さいのに意外と密度が高い」
という感覚があります。
現代の樹脂製レンズとはまったく違う、1950年代光学機器らしい造りです。
数字や目盛りも非常に小さく、まるで精密機械の部品を操作しているような感覚があります。
開放ではオールドレンズらしい描写
現代ではCine-NIKKOR 38mm F1.8をPentax Qなどへ装着して静止画撮影を楽しむ例があります。
実写評価では、F1.8開放でも中央部には十分なシャープネスがある一方、
- 球面収差
- 色収差
- 周辺部の画質低下
- フレア
などが見られます。
つまり、
中央は意外としっかり写るが、全体としてはオールドシネレンズらしい柔らかさがある。
という描写です。
現代レンズのように画面全域を均一にカリカリへ解像させるタイプではありません。
F2.8あたりから大きく改善
絞ると描写はかなり変化します。
実写評価ではF2.8で中央部の解像度が大きく向上し、色収差や球面収差もかなり減少。
F4では中央部が非常に良好になり、F5.6では周辺部も改善すると報告されています。
つまり、
F1.8
→ 柔らかさを楽しむ
F2.8~F4
→ シャープさとのバランス
F5.6
→ 周辺まで安定
という使い分けもできます。
1950年代の極小映画用レンズとして考えれば、かなり立派な性能です。
周辺画質を評価するときは注意
現代のデジタルカメラへ装着して撮影した写真を見て、
「周辺が甘い」
と簡単に評価するのは少し酷です。
このレンズが本来カバーするのは、非常に小さな標準8mmフィルムの撮影範囲だからです。
Pentax Qなどのセンサーでも、本来の8mm映画フレームより少し広い範囲を使う場合があります。
そのため画面最周辺では、
そもそも設計上使用することを想定していなかった場所
まで写している可能性があります。
現代のレンズと同じ基準で四隅まで評価するものではありません。
Pentax Qとの相性が良い
Dマウントレンズを現代で楽しむカメラとして有名なのがPentax Qシリーズです。
初代Pentax QやQ10は1/2.3型という非常に小さな撮像素子を採用しています。
これは8mm映画フィルムに比較的近いサイズです。
Dマウント→Qマウントアダプターを利用すればCine-NIKKOR 38mm F1.8を装着でき、現代でも静止画撮影を楽しめます。Dマウント自体もフランジバックが約12.29mmと非常に短い規格です。
Pentax Q/Q10では38mmレンズが35mm判換算約200mm前後の望遠画角になります。
小さなシネレンズが、
小さなデジタル望遠レンズになる。
なかなか面白い組み合わせです。
フルサイズ機では基本的に向いていない
一方、
「じゃあSony α7やNikon Zに付ければいいじゃん」
とは簡単にはいきません。
物理的なマウントアダプターを作れる場合でも、このレンズのイメージサークルは8mm映画用です。
35mmフルサイズセンサーは桁違いに大きいため、
- 激しいケラレ
- 円形の小さな像
- 周辺部がまったくカバーされない
といった状態になります。
もともと巨大センサーを覆うようには作られていません。
Dマウントの魅力を楽しむなら、小型センサー機との組み合わせのほうが本来の設計に近い使い方です。
16mm用Cマウントレンズと混同しない
Cine-NIKKORには16mm用レンズも存在します。
そのため中古市場で「Cine-NIKKOR」という名前だけを見ると、
全部同じマウント
と思ってしまいがちです。
しかし、
- Dマウント:主に8mm
- Cマウント:主に16mm
という違いがあります。
Cマウントは1インチ径。
Dマウントは5/8インチ径。
明らかに大きさが違います。
今回の38mm F1.8を購入するときは、商品説明だけでなく実際のマウントを確認したいところです。
Cine-NIKKOR 38mm F1.9とも間違えやすい
中古市場では、
Cine-NIKKOR 38mm F1.8
と
Cine-NIKKOR 38mm F1.9
の両方が存在します。
差はたった0.1。
しかし別モデルです。
F1.9のほうが古く、F1.8はその後継にあたる後期モデルとされています。
見分けるには、
- レンズ前面の刻印
- 鏡筒デザイン
- マウント周辺
- 絞り表示
などを確認します。
研究資料ではF1.8版のほうがマウント付近のローレット部が幅広く、旧F1.9とは外装上の特徴も異なるとされています。
中古商品名だけを信用せず、刻印写真まで確認するのが確実です。
Cine-NIKKOR 13mm F1.8も存在
同時期のDマウントCine-NIKKORには13mm F1.8も存在します。
38mm F1.8と13mm F1.8は、DマウントCine-NIKKORの中でもF1.8仕様として知られる組み合わせです。
8mm判では、
13mm
=標準域
38mm
=望遠域
となります。
この2本を揃えるだけでも、当時の8mm映画撮影システムの雰囲気をかなり味わえます。
中古で確認したいポイント
Cine-NIKKOR 38mm F1.8はすでに60年以上前のレンズです。
中古では特に、
- レンズ内部のカビ
- クモリ
- 拭き傷
- バルサム切れ
- コーティング状態
- 絞り羽根
- 絞りリング
- ヘリコイド
- Dマウントねじ部
- 前後レンズの傷
などを確認しましょう。
ヘリコイド固着に注意
古いシネレンズではグリスが硬化し、フォーカスリングが重くなったり完全に固着したりしている個体があります。
極小レンズなので、
「力を入れて回せばなんとかなる」
と無理をするのは危険です。
内部部品まで非常に小さく、分解には専用工具や経験が必要になります。
実際、38mm F1.8の分解資料でも内部に接着された部品などがあり、整備は簡単ではないとされています。
絞り羽根の油染みにも注意
こちらはミラーレンズではありません。
ちゃんと絞りがあります。
したがって、
「絞り羽根に油が付いていないか」
は確認対象です。
映画用レンズでは絞りを滑らかに操作することも重要なので、
- 引っ掛かり
- 粘り
- 羽根の油染み
がないか確認しましょう。
半世紀以上経過したレンズでは、過去の整備状態によってコンディションに大きな差があります。
小さな傷は実写影響が少ない場合もある
8mm用シネレンズは非常に小さいため、古い個体には清掃傷が見られることも珍しくありません。
軽微な拭き傷なら写真への影響が分からない場合もあります。
一方、
- 強いクモリ
- 大量のカビ
- バルサム切れ
- 深い傷
はコントラストや逆光性能へ影響します。
見た目の美しさだけでなく、実写結果も確認できれば理想的です。
現代では「オールドシネレンズ」として面白い
本来は8mm映画を撮影するためのレンズ。
しかし現在では、むしろ小型ミラーレスカメラへ装着するオールドレンズとして楽しむ価値があります。
38mm F1.8という数字だけを見ると普通に思えます。
しかしPentax Qへ付ければ約200mm級の望遠。
それでいてレンズそのものは指先サイズ。
開放F1.8では柔らかく、絞れば中央がしっかり解像する。
そして1950年代ニッコールらしい低めのコントラストやフレアも楽しめます。
現代の200mm望遠レンズとは何もかも違います。
「8mm映画用の極小望遠ニッコールを、現代のデジタルカメラで使う」。
その行為そのものが面白いレンズです。
まとめ
Nikon Cine-NIKKOR 38mm F1.8は、日本光学が1950年代末ごろに製造したDマウントの8mm映画用望遠レンズです。
38mmという焦点距離は35mm判では標準に近い数字ですが、標準8mmフィルムでは約200mmを超えるクラスの望遠画角となります。
主な特徴は、
- 38mm F1.8
- 8mm映画用
- Dマウント
- 2群4枚
- マニュアルフォーカス
- 手動絞り
- 小型金属鏡筒
- コーティング光学系
です。
さらにニコン公式の歴史資料では、1956年から開発された高級8mm映画カメラ試作機へ、
6.5mm F1.8
13mm F1.8
38mm F1.8
のCine-NIKKOR三本をターレット搭載していたことが確認できます。
その高級カメラ自体は市販されませんでした。
しかしCine-NIKKORという映画用レンズ群は、ニコンがスチル写真だけではなく映像分野でも光学技術を培っていたことを今に伝えています。
現在ではPentax Qなどの小型センサーカメラへアダプターを介して装着し、オールドシネレンズとして楽しむこともできます。
巨大な望遠レンズではありません。
むしろ驚くほど小さい。
それでも8mm映画の世界では立派な望遠レンズです。
「38mmなのに約200mm級。そしてF1.8。しかも指先サイズ。」
Nikon Cine-NIKKOR 38mm F1.8は、フィルムフォーマットが変わればレンズの常識まで変わることを実感できる、ニッコール史の小さな異端児です。









