KODAK Commercial Ektar 10in. F6.3は、Eastman Kodakが大判カメラ向けに製造した業務用高性能レンズです。
焦点距離は10インチ、メートル表記では約254mm。
35mmカメラ用レンズではなく、4×5、5×7などのシートフィルムを使うビューカメラやスタジオカメラで使用することを想定した大型レンズです。
「Commercial」という名称から一見すると普及型レンズのようにも思えますが、実際にはその逆。
KodakはCommercial Ektarをカラー写真や色分解撮影など、高い色再現性を必要とする商業写真用途に向けて設計していました。
KODAK Commercial Ektar 10in. F6.3とは
Commercial Ektarシリーズには、
- 8 1/2 inch F6.3
- 10 inch F6.3
- 12 inch F6.3
- 14 inch F6.3
という焦点距離が用意されていました。
10インチモデルの焦点距離は254mmです。
Kodak資料による主な仕様は次のとおりです。
- 焦点距離:10inch/254mm
- 開放F値:F6.3
- 光学形式:Tessarタイプ
- レンズ構成:4枚
- 絞り:F6.3~F45
- 開放時包括角:約53°
- 小絞り時包括角:約64°
- Kodak推奨最大ネガサイズ:6 1/2×8 1/2インチ
- シャッター仕様:Ilex Synchro仕様あり
- バレル仕様あり
- レンズボード取付穴:約67mm
- Kodak Combination Lens Attachment:54mm・Series VIII
Commercial Ektarシリーズはシャッター入りと、シャッターを持たないバレルマウントの両方が販売されていました。
10インチは約254mm
現在のレンズは、
「50mm」
「200mm」
のようにミリメートルで焦点距離を表示するのが普通です。
しかし古いアメリカ製大判レンズではインチ表示も珍しくありません。
1インチ=25.4mmなので、
10×25.4
=254mm。
つまり、
10in.=254mm
です。
35mm判カメラで254mmと聞けばかなりの望遠レンズですが、大判カメラでは事情が違います。
フィルムサイズが大きくなるほど、同じ焦点距離でも画角が広くなります。
そのためCommercial Ektar 10in. F6.3は、使用する大判フォーマットによって標準からやや長めのレンズとして使われます。
大判カメラ用のプロフェッショナルレンズ
Commercial Ektarの「Commercial」は、このレンズの性格を理解するうえで非常に重要です。
Kodakの資料ではCommercial Ektarについて、
カラー写真の厳しい要求へ対応するレンズ
として説明されています。
具体的には、
- Kodakカラーシートフィルムを使った撮影
- 色分解ネガの撮影
- 白黒写真
などへの使用が推奨されていました。
商品撮影、広告写真、スタジオ撮影、複製撮影など、写真そのものが仕事だった時代のためのレンズです。
一方でKodakは、Commercial Ektarを引き伸ばし用や投影プリント用レンズとしては推奨していませんでした。
つまり、
撮影用レンズ。
それも商業写真のための撮影レンズです。
EktarはKodakの高級レンズ名称
現在「Ektar」と聞けば、Kodak Ektar 100フィルムを思い浮かべる人も多いでしょう。
しかしEktarという名称は、もともとKodakの高品質レンズにも使われていました。
Kodakは1930年代以降、高度に補正された上級光学系へEktarの名称を使用しており、特にカラー写真への対応を意識した高級レンズ群として位置づけられていました。
つまり、
Ektar=フィルムだけの名前ではありません。
むしろ古いカメラ好きにとっては、
「Kodakの高級レンズブランド」
という意味でも重要な名称です。
Commercial Ektarは1940年代後半から登場
このF6.3系統には、Commercial Ektar以前に「Eastman Ektar」と呼ばれるモデルが存在しました。
資料では10inch F6.3 Eastman Ektarが1940年代に存在し、その後1940年代後半ごろから「Commercial Ektar」の名称へ移行したとされています。
Commercial Ektar 10inch F6.3については、おおむね1940年代末から1960年代頃までの製品として資料に記録されています。
つまり現在流通する個体は、多くがすでに半世紀どころか70年前後を経過したレンズです。
光学系はTessarタイプ
Commercial Ektar 10in. F6.3の光学系は、
4枚構成のTessarタイプ
です。
Tessarは20世紀初頭から広く使用されてきた名設計で、比較的少ないレンズ枚数ながら、
- シャープネス
- コントラスト
- 小型化
- 色収差補正
などのバランスに優れています。
Commercial Ektarでは、そのTessar系構成を大判商業写真向けに高い精度で作り込んでいました。
わずか4枚。
現代のズームレンズなら十数枚~20枚以上が珍しくありません。
それに対して、
4枚で大判カラー撮影を成立させる。
古典光学設計の面白さを感じられます。
色収差補正を非常に重視
Commercial Ektarが普通のTessar型レンズと少し違うのは、カラー撮影へ強く重点を置いていたことです。
Kodak資料では、
- コマ収差
- 非点収差
- 像面湾曲
- 球面収差
- 横色収差
- 縦色収差
などを高度に補正したレンズと説明されています。
特に横色収差、つまり色によって像の位置がずれる現象は、カラー写真や色分解撮影では大きな問題になります。
当時のKodakはEktarレンズについて、三原色の像位置まで厳密に確認する検査を行っていました。
現在なら画像処理ソフトで補正できる収差もあります。
しかし当時はフィルムへ直接像を結ばなければなりません。
レンズそのものを正確に作るしかない。
ここがCommercial Ektarの凄いところです。
Kodak独自の「Lumenized」コーティング
Commercial EktarにはKodakが「Lumenized」と呼んだコーティングが施されています。
レンズ表面へコーティングを施すことで反射を減らし、
- フレア低減
- コントラスト向上
- 光透過率向上
などを狙います。
Commercial Ektarが登場した戦後期は、コーティングされたレンズが高性能レンズとして重要な意味を持っていた時代です。
現在のマルチコーティングレンズと単純比較するものではありませんが、
大判カラー写真を高品質に撮る
という目的に沿って、当時のKodakが持つ技術を投入したレンズでした。
開放はF6.3
開放F値はF6.3です。
35mm判用レンズなら、
「暗い!」
と思う数字かもしれません。
しかし大判カメラ用レンズでは珍しくありません。
しかも大判撮影は基本的に、
カメラを三脚へ載せる
↓
グラウンドグラスで構図を決める
↓
ピントを合わせる
↓
絞る
↓
フィルムホルダーを装着
↓
撮影
という世界です。
高速AFで動体を追いかけるレンズではありません。
Commercial EktarではF6.3という明るさを、主にピント合わせ時のグラウンドグラス確認にも利用できます。
実際の撮影ではF16、F22、F32などへ絞ることも多くなります。
絞りはF45まで
Kodak資料では、
- F6.3
- F8
- F11
- F16
- F22
- F32
- F45
が表示絞りとして記載されています。
大判カメラでは被写界深度を確保したり、レンズのイメージサークルを広げたりする目的で小絞りを使う場面が多くあります。
特にビューカメラでは、レンズを上下左右へ動かす「あおり操作」を行うため、単純にフィルム面を覆うだけでなく、その周囲まで十分なイメージサークルが必要です。
Commercial Ektarも絞ることで包括角が広がります。
開放53°、小絞りで64°の包括角
Kodak資料ではCommercial Ektar F6.3シリーズについて、
開放時:約53°
小絞り時:約64°
の包括角を持つとしています。
これは大判レンズでは重要な数字です。
レンズが作り出す円形の像、つまりイメージサークルがフィルムより十分大きければ、
- ライズ
- フォール
- シフト
- スイング
- ティルト
などのあおり操作を利用できます。
Commercial Ektarは単に画面が写ればよいレンズではなく、ビューカメラでの操作まで考えられた業務用レンズです。
Kodak推奨サイズは6 1/2×8 1/2インチ
10inch F6.3について、Kodakの資料で推奨されている最大ネガサイズは、
6 1/2×8 1/2インチ
です。
現在ではあまり一般的ではない大判サイズですが、当時は複数の大型シートフィルム規格が存在しました。
4×5や5×7で使用する場合は十分余裕のあるイメージサークルを利用できます。
特に5×7では254mmという焦点距離も扱いやすく、ビューカメラのあおりを生かした撮影にも向いています。
8×10には使えるのか?
ここは中古でCommercial Ektar 10inchを探す際によく話題になるポイントです。
Kodakが正式に推奨する最大サイズは6 1/2×8 1/2インチ。
つまり、
10inch Commercial Ektarは基本的に8×10専用レンズではありません。
一方、F16前後まで絞ると包括角が約64°まで広がるため、8×10判をぎりぎりカバーできるという使用例もあります。1951年のKodak資料を引用した大判写真家の議論でも、小絞りなら次の大きなサイズへ使用できるとされています。
ただし8×10ではイメージサークルの余裕がほとんどありません。
そのため、
8×10でも写る可能性はあるが、十分なあおりを使うレンズではない
と考えたほうが安全です。
8×10で実用的な余裕を求めるなら、12inchや14inch Commercial Ektar、あるいはWide Field Ektarなどがより適しています。
「Wide Field Ektar」と間違えない
非常に重要なのがこれです。
Kodakには、
Commercial Ektar 10in. F6.3
とは別に、
Wide Field Ektar 10in./250mm F6.3
も存在します。
名称も焦点距離も開放F値も非常によく似ています。
しかし別レンズです。
Commercial EktarはTessar系の4枚構成で、包括角は開放約53°、小絞りで約64°。
一方、Wide Field Ektarはより広い画角を得るための別設計で、資料では開放約75°、小絞りで約80°というかなり広い包括角を持ちます。
つまり、
Commercial Ektar
=商業写真向け高性能標準系
Wide Field Ektar
=広いイメージサークル重視
です。
中古商品名では両者を混同しないよう注意しましょう。
Ilex Synchroシャッター仕様
Kodak資料では10inch Commercial Ektarのシャッター仕様としてIlex Synchroが案内されています。
シャッター速度は、
- 1秒
- 1/2秒
- 1/5秒
- 1/10秒
- 1/25秒
- 1/50秒
- 1/100秒
- 1/150秒
- B
- T
です。
もちろん現在中古市場に存在する個体がすべて同じシャッターとは限りません。
長い年月の間に、
- シャッター交換
- バレル仕様からの組み込み
- 別シャッターへの換装
などが行われた個体も考えられます。
そのためレンズ名だけで判断せず、現物のシャッターを確認しましょう。
バレル仕様も存在
Commercial Ektarシリーズはシャッター入りだけでなく、
バレルマウント
でも販売されていました。
バレルレンズとは、簡単に言えばレンズそのものにはシャッターが入っていない仕様です。
大判カメラで使用する場合、
- フォーカルプレーンシャッターを持つカメラを使う
- 外部シャッターを使用する
- シャッターへレンズを組み込む
などの方法が必要になります。
中古で非常に安いCommercial Ektarを見つけた場合、
「安い!」
と思ったら、
「シャッターがない!」
という可能性もあります。
撮影目的なら必ず確認したいポイントです。
4×5ではかなり長めのレンズ
4×5判で254mmを使用すると、標準よりかなり長めの画角になります。
そのため、
- ポートレート
- 商品撮影
- 静物
- 遠景
- 圧縮感を利用した風景
などに向いています。
実際、現在でもCommercial Ektar 10inchを4×5でポートレート撮影に利用するユーザーがいます。
大判ならではの浅い被写界深度と、254mmという長めの焦点距離を組み合わせれば、人物撮影でも独特な立体感を楽しめます。
5×7では標準~やや長め
5×7判になると254mmはより標準的な画角へ近づきます。
さらにCommercial Ektar 10inchのイメージサークルには余裕があるため、ある程度のあおり操作も利用できます。
このレンズの性格を考えると、
5×7は非常に相性のよいフォーマット
といえるでしょう。
Kodakが推奨した6 1/2×8 1/2より小さいため、Commercial Ektar本来の包括力を余裕をもって利用できます。
商品撮影で重要だった「あおり」
Commercial Ektarが使われていた商業写真では、ビューカメラのあおり操作が非常に重要でした。
たとえば商品撮影。
箱、瓶、時計、家具などを撮る場合、
「手前だけピントが合って奥がボケる」
では困ることがあります。
そこでレンズ面やフィルム面を傾け、ピント面を被写体に沿わせます。
また建築撮影ではレンズを上へ移動するライズによって、カメラを上へ向けずに高い建物を写すことができます。
現在ならデジタル補正で対応する場面もあります。
しかし大判カメラでは、
撮影時に光学的に形とピントを整える。
Commercial Ektarは、そうしたプロフェッショナルな撮影環境で使われるレンズでした。
シリアル番号で製造年代を推測できる
古いKodakレンズでは、シリアル番号の先頭にあるアルファベットから製造年代を推測できる場合があります。
Kodakで知られているのが、
CAMEROSITY
というコードです。
文字へ数字を割り当て、
C=1
A=2
M=3
E=4
R=5
O=6
S=7
I=8
T=9
Y=0
として年代を読み取ります。
たとえば「RO」で始まれば「56」となり、1956年製を示すという方式です。
Commercial Ektarは長期間製造されているため、中古個体の年代を調べるうえで面白いポイントです。
ただしシリアル体系には年代や製品による例外もあり得るため、刻印だけで絶対的に断定するより、シャッターや外装なども合わせて判断したほうが安全です。
中古で確認したいポイント
Commercial Ektar 10in. F6.3は非常に古い大判レンズです。
中古では、
- レンズ内部のカビ
- クモリ
- バルサム切れ
- 拭き傷
- コーティング劣化
- 絞り羽根
- 絞り操作
- シャッター
- 低速シャッター粘り
- B・T動作
- レンズボード
- 取付フランジ
- 前後レンズエレメント
などを確認しましょう。
特に古い大型シャッターでは、
1秒が1秒ではない
ということが珍しくありません。
低速ガバナーの油や汚れによって、1秒が2秒以上になることもあります。
実用品として使うならシャッター速度の確認やCLA歴を確認できると安心です。中古の10inch Commercial Ektarでも、Ilexシャッターを整備して使用している例があります。
レンズ内部の気泡は必ずしも致命傷ではない
古い高級光学ガラスでは、小さな気泡が見られる個体があります。
Commercial Ektarの中古例でも、後玉に非常に小さな気泡が存在する個体が報告されています。
これは必ずしもカビや剥離ではありません。
古い光学ガラスの製造過程に由来するものなら、撮影へ実質的な影響がない場合もあります。
ただし、
気泡なのか、カビなのか、バルサム劣化なのか
はまったく意味が違います。
状態が分からない場合は専門店で確認してもらったほうがよいでしょう。
レンズボードへの取り付けにも注意
Kodak資料では10inch Commercial Ektarのレンズボード取付穴について約67mmが示されています。
大判レンズでは、
「レンズを買えばどのカメラにもそのまま付く」
わけではありません。
使用するカメラに対応したレンズボードへ取り付ける必要があります。
さらにシャッターによって必要な穴径が変わる場合もあります。
そのため中古で、
レンズ+シャッター+レンズボード
までセットになっている個体は、そのまま使えるカメラが合えば便利です。
現代でも実写する価値はある
もちろん現代には、
- Schneider
- Rodenstock
- Nikon
- Fujinon
などのより新しい大判レンズがあります。
多層コーティング、広いイメージサークル、軽量化など、後年のレンズが有利な部分も少なくありません。
それでもCommercial Ektarには別の面白さがあります。
1940~1950年代のアメリカの商業写真現場を支えた光学系を、そのまま現在のシートフィルムで使えるからです。
現在でもCommercial Ektarを大判撮影へ使う愛好家は存在し、その描写を楽しんでいます。
性能表だけで最新レンズと競わせる必要はありません。
そのレンズが作られた時代ごと撮る。
オールド大判レンズならではの楽しみ方です。
まとめ
KODAK Commercial Ektar 10in. F6.3は、Eastman Kodakが商業写真向けに製造した大判用高性能レンズです。
焦点距離は10インチ、約254mm。
4枚構成のTessarタイプを採用し、カラーシートフィルムや色分解ネガなど、高い色再現精度を必要とする撮影を想定して高度な収差補正が行われていました。
主な特徴は、
- 254mm F6.3
- Tessarタイプ4枚構成
- Lumenizedコーティング
- F45までの絞り
- 開放約53°の包括角
- 小絞り約64°の包括角
- 推奨最大ネガサイズ6 1/2×8 1/2インチ
- Ilexシャッター仕様あり
- バレル仕様あり
というものです。
また「10inch F6.3」というスペックが似ているWide Field Ektarとは別物なので、中古では名称の確認も重要です。
現在のレンズと比べれば巨大です。
AFもありません。
電子制御もありません。
カメラへ直接装着できるマウントすらありません。
レンズボードへ付け、暗幕をかぶり、グラウンドグラスでピントを確認し、フィルムホルダーを差し込んで撮影する。
まさに写真を「作る」ための道具です。
そしてCommercial Ektarという名前が示すように、
これは趣味用の高級レンズとしてではなく、写真で仕事をするプロのために作られたEktar。
広告写真や商品写真を大判カラーシートフィルムで撮影していた時代を今に伝える、Kodakを代表するクラシック大判レンズのひとつです。









